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 「ヘヴン」(川上未映子)を読む 2009.12.26 
  表紙の帯に「驚愕と衝撃」「圧倒的感動」「涙がとめどなく流れる」などと大げさな文句。そういうのはとりあえず無視して、読む。
 読後の感想はやはり帯の文句とはかけ離れていた。
 これはかなり冷静に周到に計算された小説だ。
 「すさまじい」とかではなく、理性的に読ませる小説だ。
 これを読んで涙がとまらないというのは全く理解できない。
 
 作者の考えはほぼ登場人物の百瀬が代弁していると思った。
 そこがだから小説としては不自然に感じるところだ。
 百瀬でなければ誰に語らせるかが難しいところだが、同じ中学生があれだけの内容を語れるものかどうか。
 百瀬の言葉は一見理不尽で非情な論理にみえるが、この世の真理であり、そしてそれがまぎれもなくいじめられている者たちへの救いの言葉でもある。
 いじめられている者たちは、自分たちは特別な「しるし」があるからいじめられていると思っている。
 まるで自分がキリストの再来のように考えて、このいじめの向こうにヘブンがあると思い込んでいる。
 だからがまんするしかないと思いこんでいる。
 自分が耐え、自殺することで世界を変えようなどと大それたことを考えている。
 しかし、百瀬は言う。別にだれでもよかったのだと。斜視といじめは関係ない。いじめに意味なんてないと。
 
 そう、いじめに意味などない。
 だから、耐える必要などない。
 親にも教師にも隠す必要もない。
 嫌だから嫌だと訴えればそれでいい。
 斜視の手術がたった一日でたった一万五千円でできてしまうように、
 いじめは嫌だからやめてくれと訴えればそれで終わるという単純なことなのだと百瀬は教えているのだ。
 
 コジマは自分でつくった物語の中から出られない。
 コジマは自分が中心の物語の中から出たくないのだ。自分が主人公でなければ満足できないのだ。
 だから、「僕」の斜視が治るのを一緒に喜んでやれない。
 斜視を愛しているというのはゆがんだ自己愛である。
 
 斜視を選んだのも象徴的である。
 斜視が治ったとき、世界が変わって見える。
 この世界はひとつではない。
 ほんの小さな勇気で自分の殻を抜け出せれば別の世界が見えるようになるということを教えている。
 
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