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妖怪カルタ

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読み札
 小豆とごうか
 人とって食おうか
 ショキショキ
妖怪名 
 小豆とぎ
 

これは水辺で小豆をとぐような音をたてる妖怪で、長野県では「小豆とごうか人取って食おうか」などと歌いながら人を脅かすという。「ショキショキ」は小豆をとぐ音である。
読み札
 今もいるぞと 油すまし
妖怪名
 油すまし
 

これは峠に現れる妖怪で、昔、孫を連れた老婆が「このへんには昔、油びんをさげた妖怪が出たそうだ」というと、「今もいるぞ」といって現れたという。
読み札
 海坊主 
 トドのつまりは
 大海亀
妖怪名
 海坊主 

海坊主の正体は大海ガメだというのが、江戸時代の百科事典「和漢三才図会」に書かれています。人面の亀ですから、やっぱり妖怪でしょう。
読み札
 煙々羅 煙の妖怪 

妖怪名 
 えんえんら 

煙とか炎というのはじっと見ていると人間の顔や形に見えてくるものです。幽霊の正体みたり枯れ尾花というわけで、これはお化けの原点ですね。「羅」というのは布きれのことですが、魔王のことを「魔羅」と言ったりすると関係がありそうです。
読み札
 おそろしきもの
 しわすの月夜
 白粉婆 


妖怪名
 白粉婆

文字どおり白粉をぬりたくった老婆の妖怪。はたしてこれは妖怪なのか、ただの化粧の濃い、化粧の下手なばあさんなのか。雪の夜に酒を買いに行くのだという。それだけで妖怪だと断定するのはいかがなものか。っていうか、化粧という行為がそもそも化けるということだから、化粧に失敗したものを妖怪というのだ。成功すればそれは妖怪とはわからないわけだからね。
読み札
 河童に
 尻子玉を抜かれる
 

妖怪名
 河童

河童の絵は数限りなくあるが、あえて今回は芥川龍之介の描く河童をとりあげた。これはほとんど自画像だ。孤独感漂う分裂症的河童。「振り向くな振り向くな後ろには夢がない」と言ってやりたくなる。こいつに「尻子玉」を抜かれるとおぼれ死ぬといわれているが、人の尻の穴には「尻子玉」という栓がしてあるらしい。この発想の方が河童より面白い。
読み札
 狐火大集合
   大晦日の王子稲荷


妖怪名
 狐火

 狐の吐く息が光るといわれている。
狐の姿は見えず、怪しい光だけが辺
り一面に見えたりする。大晦日には
王子稲荷のあたりにこの怪火が集合
した。王子稲荷の狐はは関八州の狐
の頭領だという。
読み札
 くだんのごとし予言的中

妖怪名
 くだん

 体は牛で顔が人間という妖怪。漢
字で書くと「件=人偏に牛」。生まれ
るとすぐ世の天変地異を予言して死
ぬという。「よってくだんのごとし」

読み札
 けっこう毛だらけ
   毛娼妓の顔

 妖怪名 
毛娼妓

酒に酔った風流士が女郎屋の二階へ上がってなじみの女を訪ねる 途中、ひどく髪の長い女がうつむいている。その人かと思って 顔をのぞくと額も顔も全面髪の毛におおわれている。おどろいて 気を失ってしまったという。 うちのWifeは汗かきでいつも顔じゅう汗をた らたら滝のように流しているので「滝じょうろう」と名づけたら、えらい機嫌をわるくして、 仕返しに私のことを「おかっぱ」呼ばわりする。何のことかわかりませんよね。まったく。

読み札
 
こそこそと話し声する
  岩の中

妖怪名 
こそこそ岩

 岡山県御津郡円城村にあった巨石で、夜分そこを通る とこそこそと話し声が聞こえたという。この写真の岩にはかの有名な芭蕉の句が彫ら れているのだが、ある時から、どうもこの岩の近くを通ると妙な声が聞こ えてくるという噂が立った。よくよく調べてみると「閑さや岩にしみ入る蝉の声」の「蝉」 の字が「人」になっている。

読み札
 覚はよく人の心を読む

 妖怪名 「さとり」
 
〈解説〉
 山奥に棲む妖怪で、木こりなどがたまに出会ったりすると、人の心を読んで先回りして話しかけてくる。
 「今お前は俺のことを怖がっているだろう」「今お前はどうやって逃げようかと考えているだろう」とか図星を指されるので動けなくなってしまう。
 仕方がないので何も考えないようにして木を伐っていたら、偶然木の切りカスが妖怪サトリに当たって、「おお、こいつは読めない」と言って逃げていったという話が残っている。
 絵を見ると明らかに猿だ。大きな賢い猿が妖怪とされたのだろう。
読み札
 「酒呑童子 大江山いく野の道に出る鬼」
 
妖怪名  「酒呑童子」


〈解説〉 これぞ鬼の中の鬼。子分の鬼を枕代わりに敷いている。都から美女ばかりさらってきては酒の相手をさせ、飽きると殺してしまう。なぜ童子なのか。子どもの心のままに成長し、母親の愛を知らず満たされぬ思いを酒と女にまぎらわしているような気がする
読み札
 「周防(すおう)の大蝦蟇(おおがま) 虹のごとき気を吐く」
 
妖怪名  「周防の大蝦蟇」


〈解説〉 周防の国(今の山口県)の山奥に八尺(約2m半)の大きなガマガエルが棲んでいたという。
 蛇ににらまれた蛙ということわざがあるが、このガマは好んで蛇を食べるという。また、虹のような気を吐くと虫たちがみなガマの口に餌として吸い込まれてしまう。
読み札
 「殺生石(せっしょうせき)は飛ぶ鳥落とす」
 
妖怪名  「殺生石」


〈解説〉 栃木県那須野にあったという石。妖怪九尾の狐が退治されてこの石にされてしまったという。石にされても毒気を周囲に放っていて、近くを通る鳥獣はその毒気にあたってみな死ぬのだという。
読み札
 「ぞそっとするのはぶるぶるの仕業」
 
妖怪名  「ぶるぶる」


〈解説〉 別名臆病神、ぞぞ神。畑で木を掘っていたら突然この神に襲われた。いつの間にかあたりが暗くなっていたし、妙な風が吹いていたし、急に怖くなって鋤もそのまま投げ出して家に逃げ帰った。あれは何だったのか。戦場ではこの神に憑かれた方が負ける。
読み札
 「たんころりん 柿の実取らぬと化けて出る」
 
妖怪名  「たんころりん」


〈解説〉 私の大好きな妖怪の一つ。柿の実をいつまでも取らずに置いておくと、この妖怪が出てきて、無言で懐から柿の実をぼろぼろこぼして行くという。ただそれだけ。ただ己の存在だけを誇示して消えていく。「油すまし」にも通じる。とにかくしゃべらないのがいいね。
読み札
 「提灯(ちょうちん)小僧がついてくる」
 
妖怪名  「提灯小僧」


〈解説〉 雨夜に提灯を灯して歩いていると、後ろからひたひたと誰かがついてくる。振り返ると顔の紅い小僧。あれっと思っているうちに消えた。おかしいなと思いながら前を向き直ると、今度は前を歩いているではないか。追いかけるとまたふっと消える。
〈読み札〉
 「土蜘蛛退治は源の頼光」
 
〈妖怪名〉  「土蜘蛛」


〈解説〉 土蜘蛛という大きな蜘蛛が山中に棲んでいて悪さをしていたので、源の頼光が退治したという話がある。この妖怪の腹の中から1990個のドクロが出てきたという。
〈読み札〉
 「手長足長
 伝説の巨人」
 
〈妖怪名〉  「手長足長」


〈解説〉 鳥海山にいたという伝説があったり、中国に伝説があったりする。二人セットで出てくることが多い。「枕草子」には清涼殿の隅にこの手長足長を描いた屏風があったという記事があり、みな女房たちが気持ち悪がって遠くから眺めていたという。
 この絵は北斎の漫画からとりました。
〈読み札〉
 「どどめき どおめき 百の目をもつ」
 
〈妖怪名〉  「百目鬼」


〈解説〉 生まれつき腕が長くて、つねに人の金を盗んでいたら、腕に百の鳥の目を生じたという。これは昔、お金のことを鳥目と言ったことから、その洒落で考えたことのようで、何だかこのあたりから妖怪もポケモンとか虫キングとかに成り下がってしまったようです。
 この絵よりも、障子の格子の一つひとつに目がついている百目鬼の方が怖いですね。
〈読み札〉
 「納戸には納戸婆」
 
〈妖怪名〉  「納戸婆」


〈解説〉 倉には「倉ぼっこ」がいて、便所には「便所神」、座敷には「座敷わらし」、そういうわけで、納戸にはこの「納戸婆」がいるわけです。何をしているかって、そんな野暮なことを聞いてはいけません。妖怪というのは、ただそこにいるということに意味があるのですから。強いて言えばそこを守っているのですね。何かを作れば必ずそこに魂が宿る。その魂の権化が彼らたちです。だから、勝手気ままに使うことはできないのです。きれいに掃除して大事に使わないと魂が逃げていくのです。
〈読み札〉
 「人魚の肉は
  不老長寿」
 
〈妖怪名〉  「人魚」


〈解説〉 人魚の肉を食べると不老長寿になるというのは日本だけらしい。また、人魚は女と決まっていて、男の人魚はとんと見ない。人魚はエロティックな想像とセットなのだ。だから、遂にはこの絵のように、「人魚一舐め一両一分」という商売にもなってしまった。人魚に体を売らせて男はヒモのような生活をしている。
〈読み札〉
 「ぬらり ひょんと 現れる妖怪の親玉」
 
〈妖怪名〉  「ぬらりひょん」


〈解説〉 親玉的な風格を備えているが、どこが妖怪なのかよくわからない。ただの頭の大きなご隠居としか思えない。後世、顔だけをもっと誇張して妖怪らしく描かれた絵がけっこうあるが、そうでもしないと妖怪とはどうしても思えない。いつどこに現れて人にどんな害を及ぼすのか、全くどこにも記述がないのだ。
 化け物の親玉としては、草双紙に「ももんがあ」と「見越し入道」の対決が見られる。アダム・カバットさんが紹介している。
〈読み札〉
 「寝る前と逆にあったら
 枕返し」
 
〈妖怪名〉  「枕返し」


〈解説〉 朝起きたときに、枕が足元に転がっているときがある。これをふつうは寝相が悪いというのだが、実は枕返しという妖怪の仕業だというのだから驚きだ。眠りというは本当に不思議な現象で、幼い頃、眠りとは死と同じではないかと思い、怖くなって不眠症になった経験のある私としては、何となくよくわかる。この枕は眠りの象徴であり、枕が離れるともうこっちの世界に戻ってこられないのではないかという恐れが生んだ妖怪だろう。
〈読み札〉
 「のっぺり 顔なし
     ぬっぺっぽう」
 
〈妖怪名〉  「ぬっぺっぽう」


〈解説〉全身肉の塊のような妖怪。渋川のへそ踊りのように、腹に顔を描いたような妖怪。体は普通の人と変わらず、顔だけ目も鼻も口もないのっぺらぼうの話が有名だが、この肉の塊がぺたぺたと足音をたてて外を歩いているというイメージの方が妖怪らしい。妖怪はやはり人間とあまり直接かかわるモノではない。さりげなく棲み分けて、共生しているというのが本来のあり方ではないだろうか。
〈読み札〉
 「腹減って 動けないのはひだる神の仕業」
 〈妖怪名〉  「ひだる神」


〈解説〉昔はよく、行き倒れというのがあったようです。各地にあるお堂は疲れた旅人が一夜の宿を借りるためにあったのでしょうが、そこには行き倒れで亡くなった人の霊がさまよっていて、その霊に取り憑かれると動けなくなってそのまま犠牲になるという連鎖的な死が呼び込まれるというわけです。私は就職してからずっと無気力で全く力が出ず、「ダリー」などというあだ名までつけられてしまったが、あれも今考えればこの「ひだる神」に取り憑かれていたとしか思えないであります。この絵の出典はは「江戸妖怪カルタ」
〈読み札〉
 「ひでり神 手一つ足一つで風よりも速い」
 〈妖怪名〉  「ひでり神」


〈解説〉「ひでりの時は涙を流し、寒さの夏はおろおろ歩き」というのは、宮沢賢治の「雨にも負けず」の一節。ひでりになると、作物が稔らず飢え死にする人が出る。それがつい70年とか80年くらい前の日本の現実だ。まだ100年と経っていないのだ。そうしてまた日本以外では今も現実だ。ひでりにはひでり神、どんな現象にもそれを司る神がいる。というのが、我々の祖先の思考だ。では、今の地球温暖化は何物の仕業なのか。こいつの仕業なのか。どうやったらこいつをつかまえられるのか。
〈読み札〉
 「不吉の前兆鵺の声」
 
〈妖怪名〉  「鵺(ぬえ)」


〈解説〉 絵のとおり、頭は猿、体は狸、脚は虎、尻尾は蛇というキメラ妖怪で、源頼政が退治したと言われている。もともとは夜の鳥と書いて鵺であり、声の妖怪である。不気味な声で鳴く鳥である。これが鳴くと不吉なことが起こると言い伝えられた。正体が見えないからこそ恐ろしいのであり、このようなキメラ妖怪であれ何であれ、正体を現したらもうそれで怖くはないのである。因みに「鵺のような奴」というのは、つかみどころのない、得たいの知れない奴のことを言う。
〈読み札〉
 「蛇の生殺し
  手負い蛇となって
  仇をなす」
 
〈妖怪名〉  「手負い蛇」


〈解説〉 動物には執念深い動物とそうでない動物とがいるようです。猫などは執念深い動物の代表で、車で猫をひき殺したりすると、猫の霊に取り憑かれて事故に遭ったりする話がまことしやかに伝えられています。蛇も同じく執念深い動物の一つで、蛇の生殺しといいますか、殺しきれなかった蛇は手負い蛇と言って、夜、復讐にやってきます。だから、殺すときは完全に殺さなければいけません。また、変な情けをかけてもいけません。かわいそうだなどと考えてお墓をつくってあげたりすると、かえって取り憑かれます。気をつけましょう。
読み札
 ポン太 犬神大明神となる

 妖怪名 
 犬神

 犬神とは狐憑きと同じような憑き物の一種として有名だが、石燕の「画図百鬼夜行」には、河のほとりの大樹の下で漁師が野宿したところ、猟犬が激しく吠えるので首を切ったところ、その首が樹の上の大蛇に食いついて、主人の命を救ったので、漁師が「犬神明神」として祀ったという話がのっている。
読み札
 豆狸(まめだぬき)の
陰嚢(きんたま)
八畳敷き(はちじょうじき

 妖怪名 
 豆狸

 ちょっと、下の話になるのだが、狸の陰嚢は広げると畳八畳分になるそうで、そいつを頭にかぶると、いろんなものに化けることができるそうだ。八畳敷きの家に見せることもできるそうで、「おや、こんなところに家があったかな」と思ってのぞくと、もういけない。まんまとだまされることになる。大風呂敷を広げるという言葉があるが、大陰嚢を広げるという言葉もあっていい。河鍋暁斎などは、この陰嚢をつかって象に見せたり、餅つきに見せたりするバカバカしい絵を描きまくっているが、なぜあれほど陰嚢に執着したのか知りたい。
読み札
 見上げるほど
 大きくなる見越し入道

 妖怪名 
 見越し入道

 かなりポピュラーな妖怪で、全国各地に伝わっている。峠道などを歩いていると突然現れ、どんどん大きくなっていく。自然にこちらは見上げるように首を上に向けていくことになり、遂には、絵のように、後ろに仰向けに倒れるような恰好になる。体全体が大きくなっていくパターンが基本だが、この絵のように、ろくろ首のように首が伸びるパターンもあるようだ。たぬきの仕業という説もある。「見越し入道、見越した」というと、消えるという退散法も確立しており、そういう意味でもポピュラーな妖怪である。
〈読み札〉
 「狢(むじな)狸(たぬき)は人に化ける」
 
〈妖怪名〉  「むじな」


〈解説〉 「同じ穴のむじな」ということわざがあるが、むじなとたぬきは違うという認識があった。だからこそ、同じ穴のむじなということわざができたのである。「たぬきと同じ穴に棲むむじな」という意味である。こいつも狸と同じで人に化けるというわけである。この絵の解説には、「ある辻堂に歳をとったムジナが僧に化けてお勤めを怠らなかったが、食後についうっかりうたた寝をしてしまい、尾を出してばれてしまった」とある。人を化かすといってもお坊さんに化けてお勤めしているというのはそれはどういうことなのか。
〈読み札〉
 「目一つの化け物 山父」
 
〈妖怪名〉  「山父」


〈解説〉 「土佐おばけ草子」に出てくる妖怪。峠で新兵衛がこの妖怪に塩を奪われ、その馬まで食べられてしまったという。その絵の横に百人一首のパロディーが載っているのが面白い。
「山里は冬ぞさびしさまさりける 一ト目も出たり くさは枯れたり」
 なぜ、人には目が二つあるのか。なぜ妖怪には一つ目が多いのか。そういうことを考えるのも面白い。
〈読み札〉
 「モモンガ来るぞ
    泣くんじゃない」
 
〈妖怪名〉  「ももん爺」


〈解説〉モモンガというのは、お化けの代名詞である。子どもが聞き分けがないと、「お化けがきて、山に連れていっちゃうぞ」と脅したのだ。モモンガというのは、ムササビという動物の別名でもあり、木から木へ滑空する。山中で、そのムササビが顔にベタッと張り付いたら怖いだろうなという想像力が生んだ妖怪だ。そして、そのムササビ(モモンガ)が町へ出てくるときには、この絵のような爺さんの恰好をしている。杖がかっこいい。美しい紅葉の落ち葉の海を渡ってくるのも絵になる。
〈読み札〉
 「山の怪 
  天狗礫(つぶて)に
   天狗笑い」
 
〈妖怪名〉  「天狗」


〈解説〉山という場所は本当に不思議な場所だ。現実とは別の異空間だ。風も生きているのが実感される。音がしなくなる瞬間もある。そういうときものすごい不安に襲われる。かと思うと、木のこすれる音も何かの会話に聞こえてくる。突然どこからか笑い声が聞こえてくることもある。どこか遠くの声が風に乗ってくるのかもしれないが、それは天狗が笑っているようにも思える。どこからか、石ころがとんでくることがる。それは単に重力によって崖が崩れただけかもしれないが、天狗がいたずらして投げつけてきているようにも思えるのだ。
〈読み札〉
 「雪のふる夜は雪女」
 
〈妖怪名〉  「雪女」


〈解説〉妖怪の中でもかなり怖い部類に入る。真っ白な雪の中を真っ白な肌と真っ黒な髪。これが茶髪だったら怖くない。日本に生まれてよかった、とはおかしな言い方だが、この恐怖を実感できるのは日本ならではのものだと思う。この雪女にやさしく息を吹きかけられてそのまま恍惚となって死にたい願望も日本人ならではのものだろう。幽霊と違うのはやはり雪という条件でしか出てこないところだ。
〈読み札〉
 「呼べば応える
幽谷響(やまびこ)の怪」
 〈妖怪名〉  「やまびこ」


〈解説〉山彦と書くのが普通。木霊ともいう。何にせよ、呼べば応える不思議をどう説明するか。これは妖怪というしかあるまい。水木しげるのやまびこの話は怖かった。本当に怖かった。木の中に吸い込まれてしまうのだ。次の人間が来るまでじっとその木の中で待ち続けるのだ。好奇心をもった人間がやってくるのをひたすら待つ。そうして、新たな犠牲者が吸い込まれると同時に、前の犠牲者が外へ出られるという仕組みなのだった。何十年、何百年待つか知れない。首尾よく出られたとして、その後の人生はどうなったかは、わからない。
〈読み札〉
 「羅生門の鬼
 渡辺綱に腕を切られる」
 
〈妖怪名〉  「羅生門の鬼」


〈解説〉平安京の入り口にある壮大な羅生門。災いがうち続き、都は荒れ果て、いつしかここに鬼が棲みつくようになった。そいつを退治しようとやってきたのが渡辺の綱。土蜘蛛退治の源の頼光の筆頭家来である。腕を切られた鬼は後に腕を取り返しに来る物語が伝えられている。芥川龍之介の「羅生門」には、狐狸が棲んだり、盗人が棲んだりして、しまいには引き取り手のない死人を門に捨てていく習慣ができたと書かれている。
〈読み札〉
 「燐火 鬼火
  人の精気を吸う」
 
〈妖怪名〉  「燐火」


〈解説〉古来、人魂とか鬼火とかさまざまな怪しい火が目撃されている。私の祖父もある晩、墓地を通ったら人魂が飛んでいるのを見たといって、楽しそうに話してくれた。全然怖そうではなかった。年をとると、どんなことにも動じなくなるのだなと感心したことを今でも覚えている。祖父は早くに亡くなったので思い出は少ない。私をだっこするとヒゲをわざとゴリゴリほっぺに押しつけてくるので嫌だったこと、祖父が入った後の風呂は土がざらざらに残っていて嫌だったこと、など嫌なことばかりだが、素朴で不器用な人柄がしのばれる。
〈読み札〉
 「累々と重なる髑髏と目比べをする清盛入道」
 
〈妖怪名〉  「目比べ」


〈解説〉天下を取るまでには数限りない人間を殺してきた平清盛。晩年には、その殺された人々の怨念が夜な夜な出てくるようになる。まずはこの髑髏(どくろ)の山。頭蓋骨ではない。髑髏にはちゃんと目がついている。その目でにらみつけられれば大抵の人間はびびって狂うのだが、すでにして狂っている清盛には通じない。だが、最後は高熱にやられて死ぬことになる。驕れる者も久からず、ただ春の夜の夢の如し。
〈読み札〉
 「霊柩車を襲う火車」
 
〈妖怪名〉  「火車」


〈解説〉もともとは、地獄の獄卒が、火の車に乗って、死んだばかりの死骸を奪いに来るのを言ったらしい。生前悪事を働いた者の死骸がそういう目にあうと言われた。また、死骸を奪いに来るのは猫だとも言われる。猫を死骸に近づけるなという言い伝えも多くある。これをカシャ猫という。不思議の国のアリスにはチェシャ猫というのが出てきて、樹の上でニヤニヤ笑っている。チェシャ猫とカシャ猫、ちょっと似ていて楽しい。
〈読み札〉
 「轆轤首(ろくろっくび)は首抜けの病」
 
〈妖怪名〉  「ろくろっ首」


〈解説〉おなじみの首がのびる妖怪。どこまでも伸びる。伸びて人に巻き付いたりもできる。どことなくユーモラス。男のろくろっ首もいるけれど、やっぱり女の方がさまになる。眠っているときに勝手に首が伸びているというのだ。夢遊病というか、離婚病というか、いずれにせよ、何らかの病気を妖怪化したものと思われる。首が伸びるのではなく、首が抜ける病があったという話もある。朝起きたとき、首に深い傷というか、シワというか、線が刻まれているのは、ろくろ首の証拠である。
〈読み札〉
 「笑いながら落ちる人面樹の怪」
 
〈妖怪名〉  「人面樹(にんめんじゅ)」


〈解説〉これは中国の桃源郷のようなところにあるらしい。日本ではほとんど聞かない。顔のような果樹がなっていて、そいつが落ちるときは笑いながら落ちるというのだから笑ってしまう。べちゃっとつぶれて頭から脳みそのようなものがとびだしたら気持ち悪いでしょうね。果樹同士でべちゃくちゃしゃべくっていたら、それも気持ち悪いでしょうね。でも何となく本当にありそうだから怖い。
〈読み札〉
 「陰摩羅鬼 
 屍の気の変じた化け鳥」
 
〈妖怪名〉  「陰摩羅鬼(をんもらき)」


〈解説〉これも出現例の少ない妖怪。新しい仏さんがお寺に持ち込まれたりした時、その屍の気が変化してこの鳥の姿になるという。「気」というのは何でしょうか。生命力の別名でしょうか。死後は気も雲散霧消してしまうのでしょうが、死んだばかりの新しい死骸にはまだ気が残っていて、そいつが体から抜けるときにけっこう大きなエネルギーの塊になるのでしょう。それがこの鳥のように見えるのでしょう。別に悪さはしないようです。
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