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 5 セスは語る 

セスは語る
人格を有するエネルギー存在
1963年9月に自動書記
「観念構築体としての物理的宇宙」
一人ひとりの人間が直観を通してより深い知識に至るすべをもち、内なるリアリティーをかいま見る能力があること。

1970年「ザ・セスマテリアル」
1970年1月19日第510回目のセッション。

意識は物質に依存していない。

私たちが多次元的存在であること。

ニューヨーク州エルマイラ市にて1971年9月27日
ジェーン・ロバーツ

第一部
第一章 肉体をまとわぬわたしが、書をしたためています
セッション511
霊スピリットとい言葉も好きでない。肉体のない人格存在という定義なら認めざるを得ない。
ルバートとは彼女のあらゆる転生の全体である、より大きな存在の名前です。
もともとあなたがたは物質的存在ではありません。
意識は形あるものを創造します。しかしその逆は成り立ちません。

あなたがたは、この上なく素晴らしい「贈り物」を授かっているのです。それは、「あなたがたはみずからの思いを外にむけて投影することで、物や形あるものを創造できる」ということです。
その「贈り物」には責任が伴います。
あなたがた人類はむしろ「自我硬直」、すなわち精神が柔軟性を失って硬直し、自己の直観的認識力に長けた部分は否定されるか、歪められてしまった状態にある。

S512
「無意識」こそ目覚めてあり、気づいてあり、常にすべてを見通すことのできる意識と呼ばれて然るべきなのです。それを「内なる自己」と呼びます。
内なる自己は三次元を超えた現実を感知できる。本来、遠隔透視能力やテレパシー能力をもっている。
潜在意識は、内なる自己と外なる自己の間にある、待ち合わせ場所のようなところである。多次元的な人格存在が存在するという事実。
死んだ物質といものは存在せず、意識の関与なく形づくられた物体もひとつとして存在しないということ。

S513
わたしは直線的な体験とは種類の異なる、無限の多様性のうちに同時発生進行する出来事のすべてに、一度の焦点を合わせて応じられるといった体験が、実際に存在することを知っています。
ルバートの魂には透き通るほど薄い次元のひずみがあり、その部分を通して他の現実を知覚できるという、開いた窓の役目をしています。

第二章 わたしを取り巻く環境、仕事、活動
己の価値を高めるよう努めるかたわら、創造を成し遂げる機会をあなたがたに少しでも多く提供できることが、この上ない私の喜びなのです。
あなたがたがこの特定の存在のレベルに至るには、何度も何度もこれでもかというほどまでに繰り返し死ななければならないのです。
衝撃が莫大なのは、死の瞬間より、むしろ誕生の瞬間のほうで、前者の場合は死んだ本人がそれに気づかないことさえあります。一方退場は、必ず鮮烈な突然の自覚を伴って怒ります。ですから、あなたがたは死を恐れる必要などまったくないのです。

私たちは永続性を見込んで構築物を使用することはありません。
不変性、永続性は、形とは根底的に何の関係もありません。喜び、目的意識、達成感、そしてみずからの在り方こそが、それらの統合性をもって形に影響を与え得るのです。

一度のいくつかの形態をとることもできます。
夢の形態をまとい遠くまで出かけて行くこと。
自分とうり二つの「想念型」を創り出すこともできます。

テレパシーは言語の根底をなすものです。
テレパシーでは言葉は使っていない。熱と電磁気から創られるイメージを使います。

私たちは感情は隠す必要のあるものだとは考えていません。感情や思いに流されることがないため、そこに恐れがありません。

S514
私たちの精神的体験は、すべてこの「瞬間点」の枠内でなされています。
部屋が突然小さくなったと感じられたとき、気のせいにしてしまいますが、実は、非常に肝腎な点で変化している可能性があります。物理次元での測定値を変えることなく起こります。
あなたが夢の環境を変えたり、夢を操ることを習得すれば、物理的環境にも変化を及ぼせるようになるでしょう。
意識は「存在すること」をやめることができません。意識は物質ではありませんので、自分の活動を別の方法で知らしめねばなりません。

S515
あなたの体の感覚器官がその知覚した通りに現実を創り出しているというのは本当です。

S518

第三章 導かれるままわたしがおとずれる次元と、次元ごとの現実リアリティ
過去生での自己をすべて承知している。
あなたがたはひとえに生を重々しく捉えすぎています。また他方から見れば、遊びのある生の在り方をもっと真剣に捉えるべきなのです。
例えば意識の流動性に注目し、意識をどれだけ遠くにとばせるかを試して遊びます。
S519
あなたがたは生を授かった時点で、すでに現実を特殊なやり方で知覚し、体験に関しても、濃密ながら非常に限定された領域内で解釈を行うように「条件づけ」されているのです。

魂は、自らの意識の焦点を変えることができる。
わたしは、わたしの意識と同一ではありません。
存在または魂は、意識以上のものである。

三次元での体験は、またとなり貴重なトレーニングの機会です。
環境はあなたが形作るものであり、まさに文字通りあなたの延長であると言えます。つまり、あなたの意識から外に向けて拡張した、物質化した思考なのです。
S520
感情も思考も、それぞれがまったく独自の電磁的な現実を有します。

第四章 輪廻のドラマ
S521
時間は瞬間の連続したものではない。
それぞれの転生は、基本的には同時に存在します。
しかが起きたかどうかは、問題が解決されたか否かによって、特定の方法にもとづいて判断されます。重要な人物の出現もそのひとつの例です。
進化は時間とは一切無関係に起こります。
過去生で罪を犯したために今世でその報いや罰をうけることになるとする推測は正しくありません。
多元的自己も「何かになろうとしている状態」にあります。
芝居の休息期間には、内なる知覚を通じて別の役柄についての情報ももたらされますが、いずれの芝居の中の自分と比較しても、今の自分の方がずっと自分らしさを演じられると感じるのがこの時期なのです。
その期間にあれば、だれもが芝居の脚本が自作であることが理解でき、自分を拘束していた基本的前提からも自由になれます。
与えられたどの転生に関しても、その目的は、あなたが知るところの表層的で意識的な自己のさらに内奥にある叡智を得ることにあります。

S522
意識はまさにその本質ゆえに、自らをできるだけ多くの次元において顕在化しようとしています。なおかつ、自分自身から新しいレベルの気づきや、新たな分枝を生み出そうとするのです。そうしていくなかで、意識は現実をすべて創り上げていきます。常に現実が「何かになろうとしている状態」にあるとはそういった理由からなのです。
転生とは、あなたがたの意識がみずから開き、自分自身をできるだけ多くの方法で表現することによって起こる実質的進化なのです。

あなたがたは共同創造者になる術を学んでいます。つまり現在あなたがたが理解しているところの、神々になることをまなんでいるのです。
憎しみさえも創造的に使っていき、より好ましい結果へ向かわせ、最終的には愛へと昇華させてしまうことを学んでいくのです。

物質的側面はすべてカムフラージュ(偽装)です。
ほんの束の間、絶えず起き続けている日常的活動から意識の焦点を外さねばなりません。いわば体の感覚器官のスイッチを切るのです。そして、これまであなたが気づかずにいた事柄に意識を向けるのです。

簡単なエクササイズ
舞台の照明が消えた漆黒の闇にただ一人いることを想像する。
内なる知覚機能をできるだけはっきりと感じ取るようにする。
内なる世界が存在すると思ってください。
内なる世界での視力が少しずつ回復し始めたと思う。
就寝前や休憩時間などに短時間行う。
気づきの新しい次元に焦点を合わせること、異質な環境において瞬時にスナップ写真を撮る技を習得することにすぎません。
ただそれらを受け入れてみてください。

みずからの人生と環境に対する責任はあなた自身にあることを自覚していただきたい。

転生あるいは芝居はすべて同時に起きているのです。創造性と意識は決して直線的に進歩するものではありません。
あなた自身が脚本を書いているのです。
意識的自己はそうしたすべてを忘れています。

第五章 いかにして思考が形になるのか 思考と物質の交わるところ
言葉が実体でないように、物体も実体ではなく、象徴記号である。
言葉を創造するのと同じほど確実に、物体を創造しているのです。
「環境は、住む人の人柄を表す」というのは字義通り誇張のない事実なのです。
あなたがたの一人ひとりが今ここで手にしている本書を創り出しているというのは正しく、あなたのすべての物質的環境も内なる思いから表出したものなのです。

S524
複数の現実にあるさまざまな地点または時点どうしが、同じ空間を占めている。「二重現実」とも言うべき、極めて巨大な潜在エネルギーを秘めた場所です。

すべての現実の交わる「絶対整合点」と呼ばれるものが、数にして四つあります。
思考や感情が物質的対象物へと転換する際、下位の整合点が重要な役割を担う。
思考や感情がエネルギー的にある程度の強烈度まで達すると、下位の整合点の力を自動的に引きつけるため、力を大々的に溜め込むことになります。
時間や空間にはそうした特定の時点または地点があり、思考や物質が大きなエネルギーを蓄えています。ピラミッドがそうです。
すべての整合点では極小規模である重力の変化が起きています。
整合点とはエネルギーの集中した点ということ。
建築に好ましい場所となる。
感情や思いは、整合点の活性化に一役かっています。それは物質への投影が加速される。
関わるのは感情や思考の性質如何ではなく、その鮮烈さだけ。

一定の条件下でエネルギー群は凝結して物質となります。
鮮烈さは電磁エネルギー群ができるときの核になります。
あなたの気持ちが非常に強烈な状態で切り替えられ、感情を伴う明確な観念的イメージのなかで思考がなされる場合、それらは即座に物理的出来事として具現化されます。
「内なる自己」に気づくこと。主知的残骸や迷信的残骸を取り除いていくこと。

第六章 魂とその知覚の本質
S526
魂とはあなたが所有している何かではなく、あなたがたの存在そのものです。
私は普通「魂ソウル」という言葉より「存在エンティティ」という言葉を好みます。
それは「内なる自己」であり、絶えずそして永遠に変化し続けます。
自我は極めて集中的に物質的現実に焦点を合わせているため、そうした情報を知らぬ振りをしている。

見たところ動きのない状態のなかに、物理的には表現されずとも極めて加速された動きがあるという感じが出せればよいのです。

S527
あなたの内なる自己である魂という代物は、基本的には肉体的な死の後でも、その性質や知覚の方法などを急激に変化させたりはしません。

魂とはあなたがたの一部であり、永劫不滅なもの。
個としての自己は魂のひとつの表現にすぎない。
魂とはあらゆる人格の総和以上の存在です。

現実リアリティには、閉じたシステムというものは存在しません。
魂も開いた体系であり、あらゆる方角に創造的エネルギーを放射している。
魂を直観的に理解使用とするときに不可欠な条件は、それを成し遂げたいという願望です。
●エクササイズ
自分自身の中に、呼吸や生命力が湧き出てくる、力の源があるのを感じてみましょう。
次に、力がその源から外に向けて流れ出し、体全体を満たすのを感じます。
その力は宇宙と地球の核に到達する。
あなたは魂から自己のエネルギーを引き出すことができるのです。
魂の本質を、知覚の本質と分けて論じること自体不可能といってもよい。
体の感覚器官は、実際に物質界を創っている。
体の感官を使っているうちは、別の方法で現実を知覚することはできません。

内なる自己は、「現在」の人格と、魂の間を結ぶ伝令の役割。だが本来そこに境界はない。
「思考が現実リアリティを創造する」のです。
あなたがたの主観的感情が如何に大切であるかが、これで難なく分かると思います。

S528
魂は、体験のすべてを直接知覚します。魂は知覚のために肉体を必要とせず、
特定の睡眠の深さにおいては、魂の知覚が比較的妨害されず作用します。
魂は、みずからの一部であるすべての分身を再生させ、その分身であるあなたに固有の自己認識を賦与します。そして、「あなたが誰なのか」と尋ねれれた時には、ただ「私は、私であるところのものです」と答えれるでしょう。それは、あなたについての答えでもあるのです。
「私であること」が別の「私であること」の一部であるという可能性も開いているのです。魂は、自分という存在に怯えることはありません。魂は、体験や知覚したものに圧倒されることを恐れません。
意識とは善悪の教えにもとづいて形成されるものではない。善悪とはより壮大な現実の異なった「現れ」にすぎないという意味です。

第七章 魂の知られざる力
S530
あなたがどこかの場所にいたいという願望をとても鮮烈に抱いたとしましょう。するとそのことを意識的に自覚していなくても、あなたとまったく同一の疑似物質的形態が、あなたの望むまさにその地点に出現することがあります。

●肉体は絶えず「振動」しており、エネルギーとその構造的性質ゆえに、実際は明滅している状態で存続します。
あなたが意識のうえでは気づいてないあなたの一部が超体系とも呼べるような現実に存在しています。そこでは意識がより密度の高いエネルギーを知覚し、その「形態」の構築を学んでいます。

あなたは物質的形態としての在り方を強く望む超自己スーパーセルフによって送り出された存在です。
あなたは超自己の体験の幅を広げることに貢献しています。

あなたがたが個として存続進化し続ける一方で、あなたがたの全体自己まはた魂が有するとてつもない潜在力は、そのあまりの広大さゆえ、ひとつの人格存在を通してだけでは到底充分な発現がなされ得ないのです。

○肉体はアストラル体が物質化したものです。
アストラル体は決して肉体を放棄したりしません。

別のレベルの現実リアリティでは、ゲームのルールが変わります。
「死後」において、知覚は制限のないものになります。
確率的偶然の未来や、確率的群善の過去なるものも当然存在していることになります。

創造性は個々の人々に、反射的に多次元的現実の記憶を思い起こさせるはたらきがあります。よって、「汝自身を知れ「」という箴言は、これまで大多数が考えてきた以上に意味深い言葉なのです。

夢には終局のプロセスというものがあり、終わり近くの部分では密度の高い精神的あるいは超視線的な体験が繰り広げられます。
この終局部分では、できるだけ物理的言語に近づくように置き換えられます。
睡眠状態にあるあなたの意識は頻繁に肉体を離れ、他の現実レベルに在る人々と意思の疎通を図ります。

ジェーンの願望とは、「存在と現実の本質を理解すること」であり、それは別の領域を霊的に精査するための彼女なりの方法だったのだ。

第八章 眠りと夢の意識
S532
一単位の長い眠りよりも、短い二単位のほうがよい。
ほとんどの人が一単位三時間の睡眠を二単位とれば十分のようです。
理想的には一単位五時間の睡眠。加えて二時間の仮眠でもよい。
一単位四時間に二度の仮眠でもよい。
晩方から四〜六時間の睡眠をとり、夕食後に仮眠をとるようにします。いかなる場合も六〜八時間を超える連続した睡眠は有害。

自己の「大いに創造的な部分」は眠っている時間の大半を肉体から離れて過ごします。
食事は夜の時間帯にもとることになる。少量をより頻繁に摂取するほうが利点が大きい。

S533
意識は明滅しており、その集中度はさまざまである。
意識の活動が最大レベルに達する可能性のあるときは夜明け前。
午後には意識の活動が低迷する特定の時間帯がある。

S534
死後になって、それまでともにあった偉大なる意識の力に対する完全な気づきを得るのです。
肉体とともに在る意識を「過度なまでに自分であるとみなす」人々は、自ら創造した苦痛の種に理由もなく苦しめられ、肉体のそばにぐずぐずといつまでも居残るはめになる可能性があります。霊のことを言っている。
あなたがたは今すでに霊スピリットなのです。霊はみずから意識を作動させたり、止めたりすることがあります。意識は明滅したり振動したりすることがあります。

第二部 
第九章 死の体験
S535
肉体の原子や分子は、死と再生を繰り返しています。つまりあなたは極微の死に囲まれながら生きているということです。
自分が連続的な存在であるという感覚は、すべて意識の波動のひとつおきの「うねりパルス」の上に成り立っているということ。

今のあなたの体は、十年前のそれとはまったく別のものなのです。
十年前のあなたがたの体はとうに死んでいるのです。

天国と地獄の中間にあり、死者がまずそこで火によって清められるという煉獄を謳ったカトリックの教えを信仰していれば、死後にはそうした死者の国を幻妄として引き起こすことになります。
常に自らの思いや期待から、自分自身の現実を織り上げているのです。

死後の後見人としての存在には、あなたがたの言う「生きている人」も「すでに亡くなっている人」もいます。生きている人が後見人の活動を行うのは、自分の体が眠っている意識が「体外離脱」の状態にある時です。

死後の環境は暗くも悲しくもない。生前の現実より概してはるかに密度の高い法悦に満ちたものです。

「夢を回想する試み」によって死後を明確に把握することができる。

転生の意義や目的に気づいてはじめて、それ以外の自己の存在についての知識を意識的に取り入れる準備ができるのです。
そしてあなたがたは、拡大した気づきに通じることになります。自分が一体何ものであるのかということに、他の転生での存在も統合されます。そこからもし再び肉体的存在を希望するのであれば、次はどのような存在を選ぶかという計画に着手します。別の現実レベルに入っていくこともできます。

S536
知性とは感情や直感と手に手を携えて進むべきもの。
死者はそうした状況の枠組みのなかで、彼らに理解できる言葉で、自分の置かれたまことの状況を知らされるのです。
内観の段階だけは例外で、完全に避けて通る人も少なくありません。
この段階で最も重要なのは感情ですから、親しかった人が迎えてくれればそれに越したことはありません。
物質的存在としてのあなたがたは、在る意味では幻影が集積した結果である。
ある個人の現実と、別の個人の現実との間には、大懸隔が存在するのです。

死を迎えた人のなかには、受け入れる必要のある(直前の物質的な転生である)動物としての転生を視覚化する人もいます。

S537
死後の現実がひとつではなく、そこでの体験もそれぞれ異なっていることは明白です。しかし、例えば亡くなった後も過度に物質的現実に意識を集中していたり、一定の回復期間を必要とする人に関しては、病院や療養所が創られています。
集団幻影と呼ばれても結構です。

奇妙なことに、生前みずからの肉体を毛嫌いしていた人ほど、死の直後にはその肉体に強く惹かれるようです。
あなたがたは毎晩の睡眠中、しばらくの間は体外離脱の状態にあるのです。
あなた方は直前の肉体的転生において物質的な形態で有していたうちの、いかなる外観をも選ぶことができるというわけです。
こうした環境が空間を占拠することはないのです。ですから「すべてはどこで展開しているのか」という疑問は、根本的見地からしても無意味であることになります。
例えば体験の強烈度が、あなたの現実でのキロメートルやマイルで測れる距離に置き換えられて解釈されることもあります。

第十章 生のなかの「死」という状態
S538 1970年
あなたとは、夢境の自己が送り出している夢主なのです。そしてあなたの日常体験は、夢境の自己の見る夢です。

●あなたがたが意識の焦点を日常生活に定めていることには理由があります。そうした在り方を、ある挑戦として採択したのです。しかし、そうした体制にありながら、成長し、進化し、みずからの意識の限界を拡げていくことに重要な意味があるのです。

あなたの背景にある活力、気力、生命力、そして創造力は、すべてこの別次元で生み出されているのです。
あなたとは多くの意味で、夢境の自己に肉を付けた投影なのです。
あなたがたは夢の中で問題を解決します。
魂は肉体を創造します。
内なる旅は如何なるものも、あなたが現在知るところの転生の重要性、美しさ、意味合いがどれほど絶大であるのかを気づかせてくれます。
まことの喜びや進化の意味するところとは、あなたがたが自己のもてる能力をすべて出し切り、驚きの念と強い興味をもって内なる次元を切り開くことなのです。
不幸な状況ではまだ内なる環境について学ぶ準備ができていません。
内なる旅には、あなたの資質が総動員されるのです。

あなたがたはまず、データを創造することから始めるのです。
もしあなたが、すべての人は悪であると信じているのであれば、人の中に善を感じることは決してないでしょう。あなたはテレパシーによって、人があなたに反感を抱くように仕向けるのです。
すなわちあなたがたの体験は、己の期待に忠実であるということです。

S539
「いま、実際にわたしは何に気づいているのだろう」と、折に触れ自分自身に問いかけてみるとよいでしょう。
内なる知覚力は、非物質的なデータを知覚するためにそなわっているが、物質としての対象物も知覚できる。
通常の意識状態でも絶えず別のリアリティーにも焦点を合わせ、状況の把握に努め、肉体の頭脳には記録されていない出来事まで体験しているのです。
死後には、現在のあなたがたが無視しているそうした活動次元が、容易に自覚できるようになります。

時間は瞬間が繋がって成り立っているわけではなく、出来事は、あなたに起こるわけではなく、あなたの期待や信念にもどづいてみずから物質化した体験である。
出来事や物は絶対ではなく、思い通りに形を変えられるということを忘れないでください。

S540
あなたがたは日常生活のただなかで、いわゆる生き霊や亡霊と呼ばれるものとも共棲しているのです。
何度も何度も手を洗い直さなければいられないなどの反復動作を伴った神経症がありますが、同じ場所に何度も何度も戻ってくるという特定の霊や生き霊などの行動も、それと同じメカニズムから生じています。
霊それ自身はまったく無害であり、むしろその行為をあなたがたがどう解釈するかが、難題を生み出す唯一の原因になり得ます。
思念、感情、願望(を組み合わせたもの)が形を創り、エネルギーを帯びます。それ自体もエネルギーから創られて、可能な数だけ違った現れ方をします。
これはアストラルレベルへの移動や投影とはまったく別のものであり、はるかに単純な@プロセスです。
あなたがたがアストラル体として現れる現実は、あなた自身よりさらに進化しています。
あなたが何かひとつの物体を強く思い浮かべれば、それはどこかしら出現するのです。
こうした疑似形態は、送り手の人格存在の意識全体を伴うことがないため、「二次構築体」と見なされています。
あなたがたは自身による構築体のみを知覚します。
もし「霊「」があなたの接触を望んだ場合には、テレパシーによって行われます。
テレパシーと同時に想念型を送ってくることもあります。
「生」「死」という言葉は、あなたがたの理解の範囲を限定し、本来は存在しない境界の作成を幇助しているのです。
個人はみな、さまざまな進化の段階にある。ですから、ある人は別の人よりも物質的体系に強いつながりを維持しているということもあり得る。
●あなたがたは睡眠状態にある時に、亡くなったばかりの方々を援助することができます。たとえまったく見知らぬ人であっても、その人が死後の状況に順応できるように、手を差し伸べてあげられるのです。(ヘミシンクのリトリーバル)

第十一章 死後の選択と変遷の仕組み
@再び転生すること
A完全に別の確率的偶然の体系に入っていくこと
B休息の場(中間レベル)身内からの交信、夢見の状態から投影を行うことで訪れることのできるレベル
選択の前に内観の期間がある。「自分史」の完全版を見る。

S541
生存をかけた想念型の送り手=幽霊
この休養期間中は、転生することが進化に役立つような自分ならではの方法を、一大決心のもとに選択しなければなりません。
ある転生では、専ら感情面での進化を扱い、知的活動はあえて控えめに演じるという場合もあるのです。
次の転生での人間関係にしても、そこで関わる予定の人々全員と、前もって合意がなされている必要があります。
孤独を好む一匹狼もある。集団輪廻もある。家族輪廻もある。
とにかく全部やってみることを選択する人もいます。すべての人種を体験する。

あなたがたは、あたうる限り完全に在るということを学んでおられるところです。ある意味では自分自身を創造するという学びです。
善や進化という概念は著しく歪められている。

そこに登場する自分以外の役者については、同時代の幾人かが同時にその出来事に参加している場合を除けば、すべてがみずからの想念型であるのです。

想念型である彼らも意識として成長し、異なったレベルで独自の進化の道を歩み続けています。
ある意味ではわたしたちもみな想念型。

ふらんく・ウィザーズという人物は私の人格の一分身です。彼は彼なりの方法で輪廻を究めていくでしょう。

S546
すべての場合において自分の体験は自分で創造します。
自殺者であろうと、あくまでも一個人として扱われることに変わりないのです。
ただ今回の転生で直面できなかった問題に関しては、次の転生において直面することになります。
しかし、もし自殺行為が己の意識を永久に消滅させると信じてそうした人の場合は、この誤った思い込みが自殺をしたという罪悪感によってさらに強まるため、それが当人の進化を大きく妨げてしまう可能性がある。

執着になっていない天国や極楽への信仰は有効な枠組みとして利用することが可能です。
悪魔や鬼への信仰は、死後においても極めて有害です。

内なる自己は知性よりはるかに壮大な見地から、悪とは単なる無知にすぎず、上下という言葉は、小手先で付与された呼称であることを知っているのです。
対立概念への強い信仰は極めて有害です。
●ごく簡潔にいえば、「善を信ぜよ。悪の存在を信じることなしに」ということである。
世界を変える試みは、「みずからの現実は自分の確信や信念の本質に忠実に創造されている」、「ありとあらゆる存在はすべて神聖である」「ありとあらゆる存在に悪は存在しない」という根本概念の上に成し遂げられるのです。

中間生においても多数の活動次元や体験区域といったものが存在します。全員が全員を認識しているわけではないのです。
この段階にあって存命中の身内に接触してくる存在のほとんどはまだ、選択の時を迎えておらず、訓練期間を終えていない人々です。
中間生の期間は数世紀も続く場合もあり、数年、数時間の場合もある。

輪廻のサイクルが完了すると、あなたは過去世についての知識をすべて獲得したことになる。
多次元的な教師になる選択もある。
創造者としての使命に至る長い旅路にでる可能性もある。いわゆる天才になる。
時間を例えば構築体として用いる芸術も生まれる。

意識の進化は自然な段階であり、結果として起きてくるものです。

本書にある言葉は、読まれた時にあなたがたの直感的能力を解き放つよう意図されています。実際あなたが本書を読まれている間に見る夢は、さらなる情報を与えれくれます。

第十二章 輪廻する人間関係
S550
悪を憎むということは、単に新たな悪を創り出すことにほかならないのです。
「もし誰かがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬も向けてやりなさい」という言葉には、「そうすることで、攻撃する者は実のところ自分自身を攻撃することにしかならないということが如実に示され、実感されるところとなる」という悟りが包摂されている。

あなたがたは、現在すでに「次回」の転生の舞台を準備しつつあるのです。今日あなたが抱く考えは、どのみち次の転生の骨格の一部となります。

まことの愛と思いやりのみが善の本質を理解する方向へ導いてくれるということです。

愛は必然的に自由を包摂しています。
憎しみはあなたがたを制限し、知覚をどんどん狭めます。
あなたが、愛、健康、そして「ただ在ること」の感覚を拡張すれば、今世においても他の転生においても、そうした資質をみずからに引き寄せることになります。
戦争を憎む世代によって平和がもたらされることはありません。
平和を愛する世代によって、平和はもたらされるのです。
真実の閃き、直感、愛、喜び、創造性、そして達成感といったものこそが、唯一まことのリアリティーであり、まことの存在の拠り所なのです。

爆発的な嵐のエネルギーは極めて創造的なエネルギーなのです。
憎しみのもたらす結果がこの上なく悲惨で、壊滅的である。

過去世での能力は、今世でも自由に使えるということです。
過去世での知り合いどうしが根源夢を通してコミュニケーションを交わしています。

戦争の問題は、他人を殺害すれば、実際は最終的に自分で自分の首を絞めることになるということを教えてくれる。
人口過剰の問題は、自分たちの棲む環境に愛と思いやりをもって関わらない場合は、環境はもはやそうする価値なしと見なして、人類存続を支えることを断念するということを教えてくれる。

S551
みずからの内的状況を学ぶために、外的環境を精査することが求められています。
個人が両方の性別を経験していることは不可欠です。

例えば男性であるあなたが女性を毛嫌いしていたとすれば、次の転生で間違いなく女性として生まれることを選択する。病人への思いやりを欠いていた場合は、次の転生では深刻な病に罹患して生まれることがある。
内奥の能力を使うことができるようにという、修養の手段として慢性的疾患をもって生まれることもある。
病気が、無知や知的怠慢という性癖の結果として具現化される場合もあります。
●進化する機会や知識を得る機会は、今世の今この瞬間にあるということ。

貧しい人は、貧困を選んで生まれてきたから貧乏なのであって、別に私が手を差し伸べる必要はないといった態度は、次の転生において、いともたやすく貧困を自分に引き寄せることになるでしょう。

輪廻転生とは人格存在によって使われるための道具である。
物質的生を楽しみ、しかもそれに執着しない生き方は見事。

第十三章 輪廻転生と夢、内なる男性と内なる女性
S555
カイロプラクティク療法は雨の日を避けた方がよい。
雨天の場合、原子構造の内部に電気抵抗が増し、反応の遅延が起きます。

夢のなかで、自分の異性としての過去世についての多くの情報を得ることができる。
アニムスとアニマがかなり霊的なエネルギーの高いものであること。
過去の肉体像を、現在の短所を補う助けとして呼び起こすこともできます。
健康体の記憶を通して力を引き出すこともできます。

S556
過去世の記憶は空想や芸術的創造物に投影された形で表面化するために、過去世の記憶として認識されない。

アニマは、始源期の必然的「霊性」、瞑想、思いやり、深い内観的性格、創造性の源である「内側への意識集中」を表します。
アニムスには、外へ、物質的活動へと向かわせる積極性をもたらす。
最後の転生では、物質的肉体や性的要素を随伴する創造性はもはや必要ではない。
アニマとアニムスの両方が合わさって多様な能力、願望、性質を併せ持つ全体自己を表している。

真の無意識とは、言葉で表現できないほどの意識に満たされている。

母親がすでにその子を過去世において知っていた場合には、誕生に際して、二人が一緒であった時の存在を夢で見る機会が多くなります。

S557
輪廻する人格存在が準備された新しい形態に入らねばならない磁気を、受胎の瞬間、胎児形成のごく初期、誕生の瞬間などと規定するような約束事はありません。
受胎と同時に入る場合には、例外なく、その親子の間に過去世からの繋がりがあるか、地上生への執念があるかのいずれかです。

第十四章 始まりの物語、そして神の多次元性について
S559
進化の系統には断絶したものはありません。よって、もしあなたがたの体系から姿を消したものがあっても、それは別の体系に出現しています。
S560
あなたがたは、物を信頼しているようには、思考や概念を信頼することができずにいます。もし、自分が多次元的存在であり、無限の確率的偶然性という媒体のなかに生きているという考えを受け入れようとするのであれば、「神」という、言葉を超えたところに存在する現実を、ほんの一瞬かいま見ることができるかもしれません。

そこには始まりもなければ、終わりもないのです。

キリストの関しては、三人の別個の人間の歴史が混ざり合い、集合的にキリストと呼ばれに至っています。
キリストの磔上死は形而上的出来事で、物理的な出来事ではありませんでした。
ユダは、キリストによって形づくられた、神聖な「断片であり分身として創造された人格存在」であったのです。
十二人の弟子は、その一人ひとりが、一個人に属する異なった人格の資質を表現しており、キリストは「内なる自己」を表現しています。
三人とは、イエスと、バプテスマのヨハネと
そうしたドラマは個人レベルにおいても、夢見の状態を通して働きかけがなされています。神はただ体験されるもの。

内なる自己は、みずからが創造されたように創造していかねばなりません。なぜなら、これこそがすべての存在次元の背景にある大いなる贈与であり、「すべてなるもの」の源泉より止めどなく滾々と沸き出ずるものだからです。

S591
人が自分以外のある特定の人のことを強く心に思うと、必ずその「思考する人」の一部が肉体を離れて、「思考の対象である人」へと向かう。

第十五章 輪廻する文明と確率的偶然性、さらに神の多次元性について
S562
輪廻のサイクルを離れた人々は、概念的存在へと進化しています。
物理的存在が、常に同時に概念的存在でもあるので、肉体の形態を放棄したにすぎません。

地球の二番目の文明では、音が極めて効果的に利用されていました。
彼らの身体機構は、脳が強い攻撃性の信号を送っても、肉体はそれに反応を示さぬように変化していました。そうした人は、自分が他への暴力破壊行為であるとみなすことを行いそうになると、その前に気を失ったり、自分の身体を痛めつけようとさえします。
この文明はルマニアlumaniaと呼ばれていた。
ルマニア人は自分たちの文化圏の周囲にエネルギー場をめぐらせていたため、他の集団の干渉を受けずに孤立していました。
彼らは動物と相互によく助け合いました。半人半獣伝説のものになった。
攻撃性を建設的と見なしうる行動範囲へと変容させていくことが阻まれていた。この点で自由意思が放棄されていた。
彼らは逃げる以外の選択肢をもたなかった。
地下都市に住み、洞窟を通路とした。

S563
ルマニア文明はスペインとピレネー山脈にあった。
二十万年前?
動物の絵は不可視の言語だった。
音で物を運搬した。

S565
ルマニア人はその神の姿に攻撃性の概念を投影した。この神が自分たちを守ってくれることを期待していた。

第十六章 確率的偶然の体系、人類、神々
日常生活には無数の選択肢が存在します。
選択されずに顕在化されない確率的偶然の行為についても、これまでと同じ確たる存在根拠がある。
いずれの行為もはじめは思考の産物であるということ、それが現実の本質です。
個々の思考のうえでの行為は、新たな実現化の次元を開きます。ほんの微々たる思いが、ひとつの世界を誕生させるということです。
自己の限界を設けず受容的であればあるほど、確率的偶然の自己のよる多種多様な体験から得るものが大きくなり、それらの知識や能力の恩恵を受けることも多くなります。

魂は完成された被造物ではありません。魂とは何かになろうとしている状態の過程なのです。
確率的偶然の人類が存在するように、確率的偶然の神々も存在します。

S566
意識として「昇格する」ということは、自分自身の別の物質化あるいは顕在化である表出に、より多く気づくようになるということです。
この瞬間にも、あなたは広大無辺な確率的偶然性のネットワークの中心に位置しています。
ひとたび確率的偶然の体系の存在に気づけば、「有用な衝動の割り込み」と呼ぶものに対して敏感になることを学ぶでしょう。
もし、その衝動が確率的偶然の自己から発せられたものである場合、たとえばその楽器をかなり迅速に習得することができます。

「過去」には、無数の存在の仕方があります。その過去を自分の頭の中で変化させることで、今ここにある自分の現在の性質のみならず、自分自身および周囲への影響力までも変容させることができるのです。

●非常に嫌な思いを残した特定の出来事が、あなたの過去にあったら、その出来事をただ頭から払拭するのではなく、それをもっと別のためになる性質の出来事に、頭の中で置き換えてみます。それを行うときは、とにかく映像を鮮明に思い描くことと、感情的根拠を明確にしていること、さらにそれを何度も行うことが大切です。
もしこのプロセスが正しく踏まれれば、あなたの新しい選択の発想は、テレパシーを通してその出来事に関わった他の人々にも影響を与えます。しかし、それを受け入れるか否かの選択権は彼らにあります。

とりあえずは、あなたがたが他の影響や出来事に囲まれていることをお伝えするので十分でしょう。
○出来事と出来事のはざまや、物体と物体のはざまを凝視する練習であるとか、一見自分が何も手を下していないような状況で自己の内側を見ていくような練習が必要なのです。

S567
物質にもスペクトルはあるのです。
確率的偶然の出来事と出来事のはざまには、常に内なる通路が通じています。
原子は、ある意味ではマイクロ秒に匹敵する。一定期間のあいだ安定して「存在している」ように見えますが、いわば位相ごとに現れたり消えたりしています。
振動の不在の時点に、別の現実体系に「出現」しています。
多数の現在(いま)は無限に存在する位相のうちの、いずれの実数的個数でも部分変更可能です。
多数の現在とは、比喩的にいえば、eyeyeyeyeyeyeyeyeye・・・目の中に目があるというイメージ。

第十七章 確率的偶然性と善悪の本質 宗教と象徴
S568
キリストの昇天アセンションについて
個々の魂は創造の問題に関わりながら、みずからの中心に立つと同時にすべての方角へと広がりながら、あらゆる方面を探求するのです。

○悪は存在しない。
個々の思考上の行為は現実であり、その責任があなたにある。
例えば悪魔の存在を信じている限り、あなたは自分にとって充分現実味のある、リアルな悪魔を創り出すことになります。その悪魔はあなた以外に同様に悪魔を創り続けている人にとってもリアルなものになります。
悪魔はそうした人からエネルギーを授かるため、悪魔そのものが一定の意識をもつようになります。
恐れゆえに、悪の力と思えるものに意識を合わせているのです。
そうした妄想はすべて恐れや制約から創られる。

あなたがたの自我エゴは集合意識の結果なのです。

アフリカやオーストラリアに居住していた文字をもたない民のなかにいた
「語り手たち」のことづては限りなく純粋で歪曲もされていませんでした。

S569
語り手たちは転生後も語り手です。
語り手は夢見の状態の人のところに頻繁に現れ、内なる現実を上手にやりくりできるよう手助けします。

同時性の暗号点は、整合点とも呼ばれ、そこではひとつのカムフラージュ(偽装)が、別のカムフラージュに溶け込んでいます。どの整合点においても、意識の波動を同調させることが浸透の準備段階として不可欠です。
浸透は体外離脱状態でのみ行うことができます。

そこで得られた情報は、肉体の意識や潜在石井などといった領域にとって有益であったり、幅広い教えであったりするわけですが、実際的な助言として解釈される場合もあります。

芸術家も語り手である。

S570
現実とは、意識そのものの副産物。
夢のなかのイメージは、高度に記号化がなされたもんでもあり、基本的には解読不可能な内在する出来事の表れなのです。
「語り手たち」はまことに比類なき多次元的芸術である夢の形成に際して、あなたがたに手を貸してくれます。
夢は二つ以上の現実に存在し、生者にとっても死者にとってもリアルな実在。

みずからの意識の焦点をひとつのレベルから別のレベルへと変換させることを学ぶ。

目覚めと睡眠の間の領域は受動的ではあるが、テレパシー的、遠隔透視的な交信に対して開いた状態。
膨張の感覚は霊的拡大。落下の感覚は意識の肉体への急な帰還。

意識の「ギアチェンジ」を行い、みずからの体験を傍観し、はるかに優れた視点から体験を吟味することが学べるのです。
前もって疑問点や問題点を上げておき、それらが睡眠中に解決をみるよう提言することができます。遠隔地の友人と話をしたり、この現実ではかなわぬ和解でも、別の現実の層では成就可能なのです。

浅いトランス状態に入ったときに、夢に現れる象徴の意味を尋ねれば答は得られるでしょう。かりに夢の「噴水」が元気を回復させるものの象徴であることがわかったら、次に疲れたときには、噴水を思い浮かべるようにするとよいのです。

夢の生成は、いかなる個人の客観的転生の生成にも劣らぬ「洗練された」試みです。

S571

第十八章 さまざまな意識状態および象徴と複眼的焦点
すべての象徴は、感情や言葉を通して的確に表現できない感覚を表す試みであると言えます。
喜びの感覚は物体そのものを変化させます。明るい光のもとで見ることになるため、より明確に、より鮮烈に物体を創造することになる。

象徴のなかでももっとも明確なのは物質としての対象物です。
ひとつの方向性をもった魂は、自らの意識を使い、できる限りの象徴によって内なる現実を表現し、生涯を通してその象徴体系を変えていきます。
逆の方向性をもった魂は、すべての象徴を放棄し、自分の直接体験を精査することを学びます。

象徴が創られる以前の時代も存在しました。

死後に生じる意識状態では、より自由に制約なく象徴が利用できるようになる。
高次の意識状態では象徴は不要である。

象徴には一個人に特有のものがある。
それらの象徴は、意識状態が特定の地点に達し、別の意識状態に入る準備ができていることを告げている。

象徴は極めてエネルギー密度の高い超自然的粒子の集まりであり、そこには物理的な物体も含まれます。
睡眠前に適宜の自己暗示を施すなら、この段階での自覚をもつことは決して難しくはありません。

S572
目をつむったときに見える映像イメージは、しばしば意識が物理的な刺激からいくぶん向きを変えた時に見せる特徴を表しています。
熟考をもってすれば、あなたがたにもそれらのイメージをその源泉に結びつけることは可能です。
あなたが目を覚ましている意識に近づけば近づくほど象徴は限定され、それらの意味する範囲も狭まるのです。
昼間の象徴と夢の象徴には、見事な一貫性があります。

個人的な象徴の蓄えに現世での蓄えが追加されます。
目を開くことで、内なる無意識的手段の活性化が起こります。
二回以上の転生で続けて同じ語族として生まれた場合、二度目の転生では言葉の習得が非常に早くなります。
話されない思考は、あなたが聞くことのできない「音声」を伴っており、それは別のレベルの現実と知覚においては非常によく聞き取れるものなのです。

S573
アルファ波の生じる意識状態は識域であり、物質的に適応した人格部分と内なる自己との間にある準備的な意識状態であると言えます。

閉じた現実の体系というものは存在せず、思考やイメージや感覚は、他のどこかの体系で付与される感覚情報を変化させているのです。

あなたに美しい考えが浮かぶとき、そこのどこかに花を咲かせることができるかもしれません。
意識の多層的な状態に取り込まれた恐れは、すべての象徴の本来の次元を覆い隠し、自由な流れを阻む障害物となり、ゆがみを生じさせるレンズとして作用します。

アルファ波に入る前のあなたの意図があらかじめ、どの種の体験をすることになるかを大いに決定づけることになります。
なぜなら意図によって具体的に指定された領域には、あなたの意識が自動的に集中するからです。
アルファ波の状態は、あなた方の意識が体を離れる時に、体を良好の状態に保ってくれます。過去世の情報を引き出してくるのも可能です。

第十九章 互換性と複眼的視点
S574
通常意識と隣り合ったA−1という意識レベルがある。
そこでは意識が他者の体に入り、それを癒すことができます。
思考や感情のイメージから気に入らない部分を取り出して、もっと肯定的なイメージに置き換えればよいのです。

A−1レベルは創造性、意識の集中、研究、活力の回復、休養、そして瞑想のための壮大な枠組みとして使うことができます。これを役立てるためにも、この意識状態を部屋や心地よい風景や、見晴台として想像してみることで、自分の中でのこの意識状態のイメージを発展させることもできます。

通常の現実と同じレベルにあり、そこから二段階離れたところにある意識状態「互換性瞬間」と呼ぶものに対する気づきと認識に導かれる。
そこで未来の選択肢を試してみることができる。
A−1aは水平方向に広がっている。

A−2はA−1の下位にある。周波がゆっくりになる。過去世を知る。
A−3は地球の歴史を知る。
A−4は思考や概念の知覚。象徴的光景。大発明の貯蔵場。
意識的な要望あるいは強い無意識的要望を通じて捜し出されねばなりません。
A−5他の人格存在と接触可能。時間を超える。睡眠の深く庇護されたレベルか不意のトランスで遭遇できる。
現象が恐ろしい現れ方をした場合、ただそれに平穏あれと願い、そこから注意をそらしてください。
体外離脱のレベル。

意識は魂に起因するものであり、多くの方角に転じることのできる道具です。
あなたと、あなたの意識は同一ではありません。
意識はあなたと魂に属するものなのです。
あなたがたは意識を使うことを学んでいます。意識はさまざまな局面を理解して用いれば、それだけ己の現実を学び理解することになり、意識的自己はまことの意味で意識的になるのです。

私はこれまでに、意気盛んな死体を何度体験してきたことでしょう。しかし、あなたがたもみなそうなのです。

手がかりは常に存在しています。例えば一見関連性が見えてこない象徴やイメージが頻繁に頭に浮かんで来るかもしれない。それらの存在に意識を向けるようにすれば、A−1とA−2には楽に到達できる。
目や頭の片隅を通してものを見るようなものです。
互換性焦点を使う練習によって異なった物理的形成物の知覚が可能になります。時間の概念と戯れる。

意識は石蹴り遊びのように、現実から出たり入ったりを繰り返しています。
一時間に十五回から五十回くらい。

あなたがたの人格の内なる部分は夢のすべてを記憶しています。
過去世の記憶を有しています。
そうした他の現実の存在や、意識に別の体験が可能であることを認識しはじめると、その人格存在はみずからの特定の潜在力を活性化させるようになります。

あなたがたは過去によってのみでなく、未来や互換性存在によっても創られているのです。「今ここ」という現実を、他のいずれの意識層からでも変えることができるのです。

S577
互換性焦点はあなたがたが別の現実からの人格存在を一瞥できるようにしているのと同様、そうした存在があなたがたの現実を知覚することも可能にしている。

第二十章 質問と答え
S578
語り手たちとは、キリスト、釈迦、エマーソン。マーブンドゥ。
情報は無意識のレベルで入手できた。

わたしには、輪廻転生の個々の局面である、あなたがたが特定の時点でまとう多様な表れが「見える」のです。
彼らが考えている物事がすでに起きているのか、まだ起きていないのかも識別する必要があります。わたしにとっては、それらはすべて「ひとつ」だからです。

夢の中でジェーンの語り手としての訓練が行われた。

S580
そのような枠組みの中で、人類は個人レベルあるいは全体レベルで、過ちを犯したり、不健康を呼んだり、自分から死や荒廃を招いたりする場合がありますが、それでも人類が世界を想像するためにそうした能力を使っていることに相違ないのです。

病は苦しみは、創造的エネルギーが誤った方向に向けられた結果、生じてきます。しかしそれも想像の力の一部であった、例えば健康や活力などと根源をことにしているわけではありません。苦しみを止める方法を教えてくれることが、苦しみの目的なのです。

S581
光の速度よりも速い粒子から成る宇宙も、実際には存在しています。
EE電磁エネルギーユニットはそれぞれの意識から発せられる感情の電磁的現実から自発的に創られます。
あなたがたの意識は、一定の夢や体外離脱の体験において光速よりも速く動いている。

内なる波動感触は知覚対象と一体になるような体験です。

セスは自分が地球上に犬としての分身的人格をもっていた時がある。

あなたがたはみずからの「存在」の一部であり分身です。

動物の意識も確かな存在根拠を有し、永遠不滅である。
人間がみずからのエネルギーの一部を動物の形態に投じることができる。
動物の意識は、優しい人間と接触することで計り知れぬほど活気づけられ、生に対する感情レベルでの関わりが強く大きく進展します。

意識こそが形態を進化させるのであって、形態が意識を進化させるのではない。
まず最初に意識が存在したのです。そして意識が形態を導き出してから、そのなかに意識みずからを顕在化させるようになったのです。
個々の物質の小片はそれぞれすでに意識をもっている。
時間は存在しません。すべての被造物は同時に存在している。

自己の概念を限定することは自己の権利を大きく侵害すること。

あなたがたは出来事を「一度にひとつずつ」知覚します。そう見えている時間は、むしろ体験の精神的構造なのです。

S583
アストラル体での体外離脱の体験。足の自由さ。

欧米人たちは、みずからのエネルギーを外側に集中させることと、内なる現実を黙殺すつことを選択してきたのです。

どの細胞にも発達して感覚器官になる「能力」がそなわっていますが、もしその細胞が肘や膝になるのであれば、その能力が発達することはないということです。
したがって、あなたがたが蛙や鳥や蟻の目を通して世界を眺めることは理論上可能である。
S584
この種の仕事には一定の特殊な調和関係ラポールと、それらに関わる人格存在の側の特定の性質が要求される。

第二十一章 宗教の意味
S585
偉大な宗教的出来事は、内面音宗教的ドラマから浮かび上がったものです。
人類の最も気高い願望が物質的な歴史へと投影されることになる。

S586
三人目の人格存在は、まだ地上に現れていません。キリストの再臨として預言されている。キリストは「新しい思考体系」を樹立するために戻ってくるのです。
キリストは宗教的組織を徐々に衰退させる方向へもっていきます。
すべてなるものに繋がる個としての存在を教える。
2075年までにはそれが成就される。

ローマカトリック教会の崩壊を目の当たりにしたノストラダムスはそれを予の終わりと解釈した。
すべての生命が例外なく神聖であることの体験にもつづく認識がなされる。

三人目の存在はパウロあるいはサウロと呼ばれていた。
キリストがこの世を去ったとき、霊的な概念を物質的な見地から実行に移し、それを維持するのがパウロの役目でした。
しかし、組織化の種子を育ててしまった。したがって、未来のキリストの形成はパウロの人格に負うところが大きいのです。

変幻自在の意識は、他のあらゆる生きとし生けるものたちとの繋がりを感じるようになります。意識の連続性もはっきり自覚するようになります。
宗教の意味は組織的制約から逃れ、個としての存在の生きた一部となり、霊的な枠組みが文明の基礎を創り上げるようになるのです。

あなたがたが抱える多くの問題の根底には霊性への無知があることに気づく必要がある。
S587
キリストは、内なる自己と肉体をもつ自己との関係性を、「父と子」という表現を使った教えの中で説明しようとしたのです。

イスラム今日の場合は破壊的活動の優位性が投影されて、まさしく破壊行為や流血行為を経ての入信や宗教的一体化が第一義であったのに対し、愛や人間関係は二の次として扱われていた。

初期のヘブライ人の神は、人類の発散された自我の象徴でした。

人類は新たな領域を築き、異なった種類の意識の焦点と気づきを得ようとしました。
神は外に向けて投影され、人や自然から分離独立した概念となった。

魔物や悪霊は、自分自身の信念から創り出さない限り、存在いたしません。
すべたの行為は大いなる善の一部なのです。
しかし、対立概念としての善悪の影響を受け入れている段階にある間は、当然善行のほうを選ぶべきでしょう。

善悪の概念は、存在の神聖さや、意識には責任が伴うことを自覚できるようになるために役立ってくれるのです。

S588
パウロはゼロテ派の属していたことがある。

第二十二章 いとまと誘い わたしの体験から多次元的人格存在の種々相を眺める
キリストが出現した時代、わたしはミレニウスという名の青年で、ローマに住んでいた。
ロバにつける鐘を売っていた。
一世紀初頭にエルサレムで栄えていたと言われるユダヤ教の四大宗派は、サドカイ派、パリサイ派、ゼロテ派、エッセネ派である。
三世紀に二流の教皇になる。

教える立場に就くためには何を学ぶべきかという思いに突き動かされていた。

有史以前には、わたしはルマニア人として生き、その後アトランティス人として生まれています。

輪廻転生では、人格存在が未だに独立して存続している。それぞれの人格存在が、彼ら自身を語っていることになる。
それらはわたしと共存していますが、別の現実の層に存在している。

自分を「死へと導いた」思考や出来事をたどるのは常に中間生での課題なのです。
死を迎え、自分が如何に自由な存在であるかを内なる自己が感じたとき、そこにあるのは大いなる謙虚さと、大いなる高揚の感覚です。私の体験せいた死にはそれ以外に代わり得るものがないと思えるのです。

そうした転生でのわたしの影響力、仕事、関心事は、客観的に見た地味な探求姿勢に比べ、はるかに高遠なものでした。

私はこの書をしたため、あなたがたの概念を拡げることで、意識や人格の機能を説明したいと思っています。

セスU登場。円錐、あるいはピラミッド型が頭上に降りてくる感覚を体験する。

S589
私がセスUのようになった時には、すでにセスUは別の何かになっているのです。
かつて私は十二人の子をもつ母親であったことがあります。六世紀のエルサレム近郊でのことです。
極貧の暮らしにもかかわらず、朝はいつもうれしさに凱歌を挙げました。わたしは存在そのものの荘厳さに打たれており、修道士であったどの転生よりも深く真の霊性を学んだのでした。

セスUという存在は、意識の銀河の外縁に存在しています。
外側は同時に内側であるため、彼には意識が深く内側へと旅することは、はるか外側へ旅するように思えるのです。

S590
当人が肉体をまとっていようがいまいが、その人格は変化するものですから、あなたがたは生前に変化していたように、死後にも変化を体験します。

S591
あんたがたは師から師へと、あるいは書物から書物へと渡り歩くことで自分自身を見つけることはできません。一定の特別な瞑想法を頼みにすることで自分自身に出会うことはできません。あなたがたはみずからの知る自己の内側を静かに見ていくことでのみ、現時点あるいは目前の自己と「多次元的な内なる存在」との繋がりを通じて、みずからの現実を体験することができるのです。
あなたがたに必要なのは意志と黙諾と願望です。
あなたの内なる扉は開いています。あなたがたはただ己の知る瞬間瞬間を、可能な限りいっぱいに体験するだけでよいのです。
自分だけのその主観的体験が、瞬間にあると同時に瞬間にとらわれないものであり、生命ある一人ひとりによって増幅されるという、その真価を知ろうとしてみてください。

そうした拡張が可能な「あなた」は、以前あなたが描いていた自己より、はるかに創造的で多次元的であることに間違い在りません。

これまで本書のなかで提案してきた簡単な練習の多くは、あなたがたが自分自身の現実リアリティに精通し、みずからの魂あるいは「存在」の本質をじかに体験し、自分自身の生命の源であるところと接触するための力となるでしょう。
輪廻転生における過去の自己や確率的偶然の自己との邂逅は、起きる場合も起きない場合もあるでしょう。また、自分の意識のレベルが変化していることに気づく場合もあれば、気づかない場合もあるでしょう。
わたしは自分自身の手による本書が、あなたがた一人ひとりを「多次元的な内なる存在」へと誘うために、何らかの形で役立ってくれていることを願ってやみません。

キリストは磔になっていません。
人身御供に選ばれた男はクスリを飲まされており、自分がキリストだと言い含められていました。
この陰謀に加担した集団は、ユダヤ人の特定の一派がキリストを十字架に掛けたように見せることを目論んだのであって、すべてのユダヤ人がその責めを負うことになろうとは夢にも思っていなかったのです。
キリストは偉大な超能力者あるいは霊能者でした。体外離脱の姿で弟子達の前に姿を現すことができたのです。
ペテロがキリストを否定したのは、例の人物がキリストでないことに気づいていたからです。
ユダはその陰謀を知っており、本物のキリストの命を救うためにメシアを自認する男を権力者の手に渡したのです。

補遺
S592
七つの「死海文書」はクムラン谷の河床の上方に位置する洞穴から発見された。

S593
ジェーンが習慣的に「助っ人」と呼ぶ、役立つ存在を知覚するようになった。

世界の四大宗教の誕生は、すべて主要整合点の付近で起きています。
そうした場所では思考や感情がもの凄い力で物質的具現化へと押し進められる。

整合点を特定する方法

S594
物体そのものが「象徴的現れ」であり、物体は内なる体験を表す外面的象徴なのです。
象徴を形作ったのはあなたなのですから、それを変えられるのもあなたしかいないのです。物質的状況が象徴的現れであり、不変の状況ではないことを、自分自身に頻繁に言い聞かせる必要があります。
物質的環境は、内なる状況の象徴的申し立てであると言うことができます。
環境は常に、内側から変化します。
したがって、常に重要になるのは内面的ドラマのほうなのです。

内的なドラマこそ「本物」なのです。
S595
名前や年代や日時は、内なる自己にとって基本的には何の意味もありません。輪廻転生のデータからは、感情的真価のほうが、より鮮明に、歪みもほとんどない状態で得られるのです。

転生とは実は互換性現在にほかならないのです。
あなたと輪廻する自己の間には絶えず相互作用が働いています。
すなわち、現世以外の自己は死んでいるわけではありません。

S596
本書の重要性は書かれた言葉そのものだけでなく、言葉と言葉のはざまの不可視の繋がりにも存在し、人格存在のさまざまな局面に意義を成すものとなっているのです。

ESPクラスグループセッション
あなたがたが知覚するのは自分自身の観念構築体だけであり、自分以外の人によるものは知覚できないのです。テレパシー的な方法により、あなたがたは自分の観念を、他者の考えの知っている部分に同調させているのです。
計測機器そのものが歪んでおり、そうした道具も自分の採寸結果に当然のように合意するのです。
物質としての対象物は「あなたがそれを固体であると信じているとき以外は固体でない」というのが真実なのです。

あなたがたの意識は体に属してはいますが、かりに意識が体の外に出ても、それすなわち「死んだ」ことにはなりません。これはタブー視されてきたことです。

死後生は永劫の安息を見出す場所ではない。
神は被造物であり、被造物は神なのです。すなわち、被造物を知ることが神を知ることなのです。
あなたがたは今すでに霊的な存在なのです。進化に至る道は、今すでに開かれています。意識の振動における「切れ目」の瞬間をぜひ感じ取ろうとしてみていただきたい。そして、その懸隔を飛び越えてください。

まことの霊性はあなたがたのなかでの意識の躍動であり、心の中の超越的冒険感覚と関わりを持つものなのです。
宇宙の生命力は、創造性、歓喜、そして愛です。それこそが霊性なのです。

s558
預言はほとんど高度に歪曲されたやり方から生まれており、おこには常に自由意志が働いているのです。

あなたがたは未来だけでなく過去をも創造し変化させているのです。

あなたがたは既知の物質的現実を、テレパシーやまだ自覚していない手段を用いて、ともに強力しながら創り上げます。

単に夢を思い出すにとどまらず、意識的に夢に登場することを学び、そこで夢を動かしていくことが可能であることに気づいていただきたい。

頻繁に目撃される物質的な乗り物は実際に起こっている出来事の、あなたがたなりの解釈なのです。
すべての現実は、ご存じのように、物質的であるわけではないのです。

●たとえば、どなたであっても意識を分散させて、何であれこの部屋の物体の一部となること、飛び散って宇宙に自分自身を分散させることを、個としての感覚から乖離しないままで実施することは理論的に可能です。(輝く銀河の塵となって無方の空に散らばろう)

意識は「あなたがたの知覚の認識がなくとも」生き生きと精力的に存在していられるのです。
あなたがたが自分のものにするまでは、如何なる概念とて何の現実性ももちません。概念を友とし、あるいは敵に回してください。概念と戦い、慈しんでください。それらを使い、体験してください。思考のうえだけでなく、感情のうえで体験してください。

○自分に正直になり、自身を意識的に自覚できるようになるまでは、素直に他者と関わることはできません。他者に自分の恐れや偏見を投影してしまうことになるでしょう。
テレパシーは実在しますので、他者はいかなる場合でもあなたが考えたり感じたりしていることには大方気づいてるものです。

感情がそれ自体の存在領域において真正であること、なおかつあなた自身の一部であることを認めてやることが重要です。
そうしてはじめてその間場を如何に取り扱っていくかを選択します。
そうした感情を口頭で、何でもあなたたが選択したやり方で可能な限り伝えるようにしてください。怒りは意思伝達のための手だてとして使ってください。そうすることで、しばしば思いもよらなかった有益な結果へと導かれます。

誰か一人によって発せられた疑問は、発せられずにいたその他大勢の疑問である。

○あなたが何をしたものかよくわからない時には、まず体から力を抜いて、あなたの他の部分はあなたが何をすればよいかを知っているのだとご自分に言い聞かせてください。そこから先はそちらの自己が引き継いでくれるでしょう。

成功は必ずしも偉大な知性や地位や富を伴うとは限りません。成功は「内なる統合性」に関わることなのです。

あなたがたはみずからの存在を正当化する必要はありません。ものを書いたり、伝道したりする必要はないのです。
存在していること自体が、その正当化なのです。

もしあなたがた一人ひとりが、一日十分間でも、みずからの現実に対して自分自身を開くなら、自己の正当化にまつわる問題はなくなります。なぜならそうすることで、あなたがたは、自己の存在の驚くべき本質を認識することになるからです。

あなたがたはいま自分自身という奇跡のなかにあり、合図を待っています。わたしが手を差し伸べているのは、あなたがたの内なる目を開くためなのです。

あなたがたがすべきことは、みずからの自由に気づくことだけです。
すべての人格存在は自分がまさに手に入れたかったものを手に入れることができるというこの上なく素晴らしい贈り物を授かっています。
その体験が気に染まないのであれば、その時は自分の内側を見つめ直し、その体験を変えればよいのです。

人格存在は、体験を通じて意識を拡大するために、あらゆる方法を追求吟味しているのです。
その探求課題は全体自己によって設定された。
たった一日貧乏人を演じて貧困を学ぼうとする金持ちは、そこからほとんど何も学ぶことができません。そこであなたがたは自分が金持ちであることを自分でもわからないようにしているのです。

意識は見事なまでの不均衡から成り立っているということができましょう。

いま、わたしはあなたがたが通じることのできるエネルギーを改めて認識していただきたいと思っています。

確率的偶然性probability 蓋然性、あり得ること。
すべて同時に存在している。多次元的並行宇宙論的なもの。

1999年 紫上はとる

セスネットワークインターナショナル