銭湯こぼれ話 その2 



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ビラ下券
風呂掃除と朝寝坊
三助




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ビラ下券という言葉をご存じでしょうか?

 銭湯の脱衣場の壁を飾る物の一つに、映画のポスターがあります。その昔は、映画のポスターの右下隅に三角の招待券が印刷されていて、これを切って持っていくと無料でその映画館に入れたという物です。

 映画のビラ(ポスター)の下についている券なのでビラ下券。ようはポスター掲示料を払う代わりにこれをどうぞ、といったところでしょうか?今では、ビラ下券の代わりに無料招待券を2〜3枚置いていきますが、呼び名はビラ下券で通ってます。

記事内容とこのビラは関係ありません。

 私も少年時代、ゴジラやモスラ、初期の東映アニメに若大将シリーズ等々(年がわかりますね)だいぶ楽しませてもらいました。当時は映画(邦画)もまだまだ活気のあるメディアで、いつ行っても満員御礼のぎゅうぎゅう詰め、ビラ下券でただ入りするのは少々気後れもありました。

 しかし時代も移って現在、邦画の斜陽化が叫ばれて久しくなったある日のこと、ある映画のビラ下券をもらいました。普段は銭湯の常連さんにあげているのですが、少々興味のあった邦画だったので、折角ですからかみさんと二人で見に行きました。

 時間の都合等があって、見に行ったのは最終上映時間。受付で「お願いします」無料御優待券をだし、館内に入るとなにか変です。

・・・・なんと観客が”0”!

 平日の最終上映時間とはいえ、ここまでひどいの!ってなかんじで、この時の居心地の悪さは昔の満員御礼の時にビラ下券で入ったときの比ではありませんでした。広い映画館の中でかみさんんとふたりっきり(考えようによっては最高のシチュエーションですね)で寂しく無料鑑賞させてもらい、幕が引くのも早々に帰ってきました。

 さてこんな邦画の衰退が続いて久しくなりますが、未だに脱衣場には映画館からポスター掲示依頼が来ています。斜陽業種の邦画界が斜陽業種の銭湯の脱衣場にポスターを貼ってもどれほど効果があるか疑問なんですけどね・・・(^^; 

 さすがに今でも集客力のある洋画は、銭湯には早々と見切りをつけ、最近ではビラを持ってきてくれません。洋画のビラ下券なら喜んで貰いたいなぁ・・・・・



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 ちょっと前に某生命保険会社のCMで、主演女優がデッキブラシを振り回しながら銭湯の仕舞い掃除をするのがありましたが、浅草湯でも同様にデッキブラシとタワシと磨き粉でいまだに手作業でやっています。

 一時期、床だけはポリッシャー(電動デッキブラシ)でやっていたことがありますが、結局石鹸台やカラン(お湯と水の蛇口の事です。)周りはタワシを使い手作業でしなければならないので、ポリッシャーが古くなってガタが来始めたついでに昔ながらのデッキブラシに戻してしまいました。そして2月に一度位、薬品系の洗剤(ハイターみたいなやつ)を使い、やはり手作業で洗います。(ケロリンは毎日薬浴洗浄です。)

風呂掃除の三種の神器!?
デッキブラシとタワシとバケツ(^^;
 毎晩、それも夜中の12時頃から始めなければならないのがちょっとつらいですね。なかなかCMのように歌と踊りで楽しそうにという訳にはいきません。まぁ、鼻歌は歌いますけど・・(^^;

 よく銭湯は朝寝坊だと言いますが、こんな事情ですから寝るのは夜中の1時過ぎになり、どうしても起き出すのは8時頃になってしまいます。

 私が子供の頃は、深夜0時半まで営業していたので、家人の就寝時間は2時を過ぎていたのではないでしょうか?おかげで私もいつもぎりぎりまで寝させて頂いたため、目と鼻の先の学校(徒歩1分半)へ毎日の様に遅刻していました。

 ええ、だから風呂屋の朝寝坊はバグではなく仕様なんです。皆さん多少は大目に見て下さい。


   三 助  目次へ

 浴室の中に、”パパンパンパン!”といい音が響きわたる。肩に手拭いを掛けて慣れた手つきで揉みほぐす。ぐいっぐいっ、と垢をこすり、ざざぁっと上がり湯で流して、仕上げにもういっちょ”パパンパン”

 昔はどこの銭湯でもこのような光景が見かけられました。今では全く姿を見かけなくなった三助。あの独特の音は、揉んでいる途中で何度となく窪めた手で肌をたたくときの音で、浴室の高い天井に反響し、外の通りまで響きわたっていました。

 どういう訳か三助を頼むのは圧倒的に女湯のお客さんが多かったのを覚えています。番台で「ながし」(浅草湯では、こう呼んでいました。)を頼むと木札が渡され、釜場の番頭さんの所にブザーで連絡が入ります。

 番頭さんは裏の覗き穴(こんなものがあったんですねぇ)から浴室の中を確認し、木札を持っているお客さんの所に頃合いを見て行きます。

 この三助、大抵はその銭湯の番頭さんがやっていましたが、浅草湯でも昭和40年代始め頃には自然消滅の様なかたちで廃止になってしまいました。「ながし」を頼むお客さんが減ったのもその理由ですが、実は三助を出来る番頭さんがやめてしまったのが本当の原因です。

 女湯の中に堂々と入り、しかも女性の素肌に直に触れられる三助は、昔は銭湯の番台以上に男性諸氏のあこがれの仕事だったのでしょうが、番頭さんに話を聞くと、これが結構ハードな仕事だったとのこと。

 釜の火燃しの合間合間に、湯気でのぼせながらの浴室の中での力仕事。どうしてもお湯がかかるので、何度も着替え(さらしに半股引という出で立ち)なければならず、かなり大変だったそうです。(でもやっぱりうらやましい?)

 「ながし」をされている時のお客さんの表情は大変気持ちよさそうで、私もいつか一度やって貰いたいと思っていましたが、今ではとうとうかなわぬ夢となってしまいました。




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